2023年4月20日
「Sorrow is nothing but worn out joy.(悲しみとは使い古された喜びである。)」という言葉。これは、僕らの1stアルバムのタイトル『OLD JOY』の由来となった、映画監督ケリー・ライカートの同名作品に出てくる台詞だ。僕は最初、その意味があまり分からなかった。 ところで素敵なあの人は、いかなるタイミングでアルバムに名前をつけてやるのだろう。ケイチ&ココナッツ・グルーヴ1stアルバム制作にあたり、何事も形から入る僕は、収録曲が出揃う前にまずタイトルを考えていた。「尊敬するピチカート・ファイヴに倣って、アルバムタイトルは映画タイトルから借用したい」と、これまで観てきた千本弱の映画作品との記憶を辿る。そしてすぐさま、2020年の終わりに下高井戸シネマで観たケリー・ライカート特集のことを思い出した。
今じゃライカート作品は比較的容易に観られるけれども、当時はなかなか観ることができなかった。わざわざ新幹線に乗ってまで遠くに観に行く人や、字幕なしの海外版に挑む人。観た者はいずれも、昨日初めて恋人ができた中高生のように、その興奮を饒舌に語り尽くす。コロナ自粛をきっかけに狂信的な映画好きになった僕は、もちろんそれに嫉妬した。相当な映画好きでない限り誰も観てない作品を観ることがあの頃の全てだった。 そうして下高井戸との初めての体験が生まれる。バイトが終わり、チケットが完売しないか不安になりながら、足早に京王線のホームへと向かう。タイヤの焦げる匂いを感じながら、僕は快速を待っていた。
結局到着は上映開始4時間前。夕暮れ時の切なさと街の囁やきに拐かされて、どうせここで借りるわけもないのにTSUTAYAに入る。プラスチックケースの匂いは心を安らげる。でも、ありふれた品揃えを確かめるのにもすぐに飽きて、今度は街の匂いと交わってみる。「街灯が遠くへ続いてゆくみちの上」。小旅行の疲れと1杯100円のワインに酔っていた僕は、今観た映画の内容を一秒毎に忘れながら、まだ帰りたくないという気持ちで明大前へと歩みを進める。誰もいない細い路を微かに照らす灯り。頭の中で反芻されるYo La Tengoのスコアが、湧き出る湯みたいで気持ちいい。『OLD JOY』は旧友との物語だ。たかが人生20年ちょっとしか生きてきてないから、僕には多分、旧友が分からない。でも、実を言うとケイチ&ココナッツ・グルーヴは旧友と新友との物語だ。素敵なメロディーは4年間の断絶に終止符を打った。
結局、使い古された喜びとは何のことなのだろう。そこにはもう出会った頃の興奮はないのだろうか。繰り返しの日常は、大切なことを覆い隠してしまう。でも、僕らにはそんな日々しかない。
カートとマーク。君の日々と僕の日々はいつまで交差するのだろうか。どんな結末になろうとも、それが一つの物語ならば、悲しいことは何もない。そんなことを謳いながら、過ぎ去った時に想いを馳せる。そして僕らの「worn out joy」は続いてゆく。