2023年4月20日
OLDJOYあとがき
ここしばらく、震えるほど心が動いて、なんとかして書き留めておかなきゃと感じた覚えがなくて、だから正直なところ、この文章もそんなに乗り気で書いていません。ただの僕の個人的な話です。なぜ書きとめなくていいか、ということを書きます。
一年近く前まで僕は、熊本の親友と始めたポッドキャストの概要欄とか、ある段階から僕に取り憑いた90年代への憧憬とか、岡田利規の演劇を観て受けた衝撃のこととか、書き殴りのように、フラストレーションをぶつける先としてどこに出すでもなく書いていたりしていました。その文章は自分ではかなり好きだった。殆ど誰も見ていなくとも、それが唯一の社会へ何かを伝えることのできる手紙のようなものだったから、それを僕自身が否定してしまったら終わりだと感じていたのだと思います。拙くて短い文章だったけど、誇張なしに、命綱みたいなものでした。
その時期の僕は結構綱渡りだったと、今考えると思います。一緒に長い時間を過ごすことのできるような音楽仲間がいるわけでもなく、就活人間になるわけでもなく、何らかのコミュニティに所属するわけでもなく。ただただ小沢健二の曲に身を任せることしかできなかった。僕の幻想の中の都市・東京と現実の東京の狭間を歩いていた。「全てを開く鍵が見つかる そんな日を探していたけど なんて単純で 馬鹿なおれ」とか、聴きながら。堂々巡りする日々の中で、カルチャーのかけらもない八王子の郊外で、ブックオフとTOHOシネマズに向かう川沿いを歩いていました。春には延々と桜が続いていて、秋には過去のことばかり思い出させる心地よい風が吹いてました。何かに絶望してたとかそういうのではないけど、このままどこへも向かわないのかもしれないと考えると、眠れないこともあったし、目に見える全てがなんて悲しいんだろうと、黄昏れる高校生レベルの悩みとはいえ、思ってました。そういう時のニュータウン近辺の桜はものすごく綺麗。山を削り、都市計画にそって植えられた木と幹線道路。ファミレスとスタバしかない幹線道路。イタチが横切る。
何か劇的な、映画的な、少女漫画的な展開を期待して僕はサブスクに自分の曲を載せました。断末魔になったとしてもいいと思ってました。誰にも届かなくていいと思っていると同時に、誰かおれを救ってくれと思っていました。全てを開く鍵などないと95年の小沢が叫んでいるにも関わらず僕はそのありもしない鍵を探して、message in a bottleとして、曲を公開しました。ところが幸運にも、そこに鍵はあった。
バンド名について、字面それ自体はBooker T. & the M.G.sみたいで気に入っているにせよ、僕はまだ少し納得できないでいます。これでは僕自身が全て構築して、演奏だけバックバンド的に弾いてもらってるみたいな字面に見えてしまう。実際はそうではないのに。このアルバムには、もはや僕の曲は一曲も入っていないとすら言えると僕は思います。
目黒、渋谷のスタジオ、埼玉の湖、福岡の福間、早稲田大学の学生会館、笹塚、下高井戸。肺が破れそうなほど寒い終電間際の駅。”パンとワインで朝まで”語る大貫妙子さんの「若き日の望楼」はやっぱり遠くて美しい世界すぎる。体に悪そうな中華料理のことを考えたりしながら、”青春とかいえばほらひどい嘘みたいな響きになるけど”と歌うくらいが今の僕にはほんとうだなと自分で聴きながら、思います。少なくとも嘘はついてない。青春という言葉はやっぱりなにか、あまりに世の中に溢れすぎていて、底にある大切なものを表すには軽すぎて、少しだけ違う気がします。
いつか来る終わりに向かって、もうちょっとだけ急いで行けたとしたら、僕はこれから、きっとずっと幸せだろうと思います。今はもう、隙間を埋めるための大量のカルチャーは必要ないし、今のところ、文章を絞り出すように書く必要もないです。冒頭に書いたのはそういうことです。つまりすごく普通の話です。たったこれだけのことで満たされるのだという、世の中みんなが大学一年から経験して知っているような話。終わりなき日常を仲間と生きよ、というやつ。
クレジットにある方々以外にも、デンマークにいるジン、大阪にいる竹崎、Handelic、佐瀬、テラモンズ、森里くんと田中にも特に感謝したいです。小沢健二さんとか宮台真司先生にも。この人たちがいなかったらもうとっくに色々やめてたと思う。